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びゆてぃふる・らいふ

びゆてぃふる・らいふ

5・切腹

5.切腹


ヘンなタイトルですが、たぶんここでは話があちこち飛んでしまうと思い
ます。我慢しておつきあいください。それにとても長いです。

あれは結婚直前のこと。後に夫となる彼が言った。
「子供は 三人以上は欲しいな~!」
私は内心ギョッとする。というのも、そもそも小さい子供の相手が昔から
苦手だった私。一人でもちゃんと育てられるのか不安でしょうがないのに、
三人以上だなんて・・
まぁいい、どうせ義母と同居だし夫となる人も自営業なのでずっと家にい
る。近所には子供好きな親戚も揃っている。大人の手は有り余ってるのだ
から、なんとかなるさ。と生来の楽天主義がむくむくと顔を出し、にっこ
り笑って
「そうね~それがいいな♪」

人生そうそう思い通りにはいかないもの。
一人目はすぐに授かり、私としては「死ぬかと思うほどの」激痛に耐えた
出産だったけど意に反して周囲からは「初産なのにすごい安産だったね」
と言われ続け、ふーん・・じゃぁ「難産」というのはいったいどれほどの
ものなのかと不思議でならなかった当時の私。
さて予定通り二人目を妊娠した。初産が安産だったから、今度はよりいっ
そうラクに産める筈。何の心配もなくるんるん気分のマタニティライフを
満喫し、予定日近くなった頃 突然の大出血・・「前置胎盤」と言って、
ふつうは上にある胎盤が下にあって胎児より先に出てくる、そのときに
大出血が起きるそうだ。
いくら女性は出血に強いとはいえ、ありゃないだろー と悪態をつきたく
なるほどの出血量に、生きた心地はしなかった。出血した場所が病院の中
だったのは とても幸運だったとは思うけど。(掃除しなくてすんだもの)
即刻帝王切開ということになった。「このままでは母子ともに危険です」と
いう声が頭の上を飛び交う。
うわ~・帝王切開ということは腹を切るんだよね?(当たり前!)・・・
ま・いいか~ 陣痛の苦しみを味わうことがない分マシかもね、とここで
もまた楽天主義が・・
ところが奥さん!どっちもどっちなのよ~ こんなもん、どっちがマシか
なんて私ゃ絶対に決められません。術後に麻酔の切れるときのあの痛さと
きたら。やっとそれがおさまったと思ったら今度は傷がひきつって痛いこ
と・痛いこと。
次のお産も帝王切開になる、とこの病院できかされて 夫は
「もういい。三人もいらん!」
私は、授かった一人目の子供を育てているうちに、いつのまにか子供大好
き人間にすっかり変身していたので、内心は残念だったけど、このときは
さすがに これでもういいかなぁと納得した。

さてそれから8年あまり。はじめはモコモコとグロテスクに盛りあがって
いた傷痕も薄れて目立たなくなってきたころ、生理不順・生理過多で苦し
むようになった。一年ほど病院に通い、片方の卵巣が異常にはれているの
で(卵巣のう腫だった)、その切除をしようと言われた。卵巣は二つある
ので、片方だけ切除しても何ら影響はないから、という説明だった。
いくら卵巣ひとつだけとは言ってもまた「腹を切る」ことになるのか・・
どうせ二回切ることになるんだったらもう一人産んでおけばよかったなと
思うが、後悔先に立たず。
いざ入院して詳しい検査をすると、なんと子宮まで切除してしまうことに
なった。手術後にわかったのだが、「子宮腺筋腫」という病名だった。
一般的な「子宮筋腫」とは異なるものだと、何度も説明を受けたが 実は
私、今でも何がどう違うのかということがイマイチのみこめていません。
だってわかりにくいんだもの、お医者さんの説明って・・
いずれにせよ、いよいよこれでもう子供はあきらめなくてはならない。
「三人もいらない」なんて思っていた、不遜な私にバチがあたったのだろう。
それでもその頃は、異常な生理の量と回数、それに痛みにうんざりしていた
ので これさえなくなるんだったらもういいやという気になっていた。
ただ、「念のために」と言われたのは、開腹したらもしかしたら「悪性」と
いうことも考えられる、と。それに、麻酔を受けるという同意書には、万
一麻酔によって死亡することになっても文句は言いません、という項目が
ある。そういえば麻酔のために植物人間になったという小説もあったっけ。
そこで病院のベッドの上で、私はせっせと子供たち宛に遺書を書いた。
我ながらなかなか名文?だったと思うけど、あの遺書は一体どこへいった
のかなぁ。捨てたおぼえはないので、どこかに残っているはず。
結局この遺書は誰の目にもふれることなく すんだわけである。

そうしてこれが私の2回目の「切腹」。
前回の帝王切開のときは下半身だけの麻酔だったが、今度は全身麻酔。
そのためなのか、それとも前回よりも年を重ねたためか今回のダメージは
前回とは比べものにならないほどだった。
考えてみると当然かな。帝王切開というのは中の赤ちゃんを取り出すだけ。
けれど今度は臓器を摘出したわけなのだから。
結局子宮全部と卵巣をひとつ摘出した。
入院の間はそりゃぁ辛かったけど、それでも私をあんなに苦しめ続けた
生理がぴたっと止まったのは嬉しくてならなかった。夢のようだとさえ
思った。

「子宮がなくなったら女じゃなくなる」とかそういう考えは私には一切関
係ないと思っていた。だって私、どこからどう見ても女でしょ? 女以外
の何だというの?
退院して数ヶ月たった頃、町内の「女性会」という会の班長にあたっていた
ので、役員会に出席するべく 夫に言った。
「女性会に行ってくるね」
返ってきた言葉
「へぇ、女性ではなくなった人ばかりの女性会か~」
(当時の役員さんの中には私以外にも子宮を摘出した人が何人かいた)
もちろん軽い冗談だったと思う。
ところが私はこの言葉に切れた。それは自分でもびっくりするような感情
だった。その場でわんわん泣いてしまい夫はオロオロ。役員会は遅刻する
羽目になってしまった。
子宮があるかどうかなんて関係ないわ、と思っていたくせに実は案外心の
奥底では気になっていたのだろうなぁ。私って結構デリケートだったのね。
と言うか、これで当たり前なの?

そうこうするうちに今度は平均より10年以上も早い更年期障害の症状が
現れた。典型的な「のぼせ」「発汗」「眩暈」「動悸」・・
元来出不精だった私がこれでますます外出嫌いになってしまった。
何よりイヤなのが、暑くもなんともないときに突然顔がカ~ッと熱くなり
汗が吹き出してくることだった。電車やバスに乗っているときにこの症状
が出ると、誰もが私を見て呆れて嘲笑しているような、そんな被害妄想に
陥ってしまう。
術後検診に行って薬を処方してもらったが、たいして効き目もない。
そのうちにおさまるから、となだめられて帰ってくるだけ。
必要以外の外出をしないのは、いくら私でもやはり気分が滅入る。
私は一生この家の中に閉じこもって老けてゆくのかと暗くなる一方。
その頃に近所の友人がパッチワークの講師の資格をとったという話をきい
て、たのみこんで教室をひらいてもらった。
それまでにも自己流で細々と縫い物はやっていたけれど、出かけていって
おしえてもらうのは、とてもいい気分転換になった。友人ばかりの集まり
なので、それほど気をつかうこともなかったし。
そうしているうちにパソコンを買って、ネット散歩をしているうちに私も
パッチワークの作品を見てもらうページをつくりたいと思うようになった。
・・・・
長くなったけれども こういうわけで 今の私があるということです。
今でものぼせと発汗は続いているけど(一体いつになったら解放されるの
か!?)趣味を持ったことで、少しはうまくつきあっていけるようになった
かなと思っています。
3度目の切腹はもうないことを祈って、このだらだら文を終わりたいと思
います。

2004.7.4









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